月面カタパルトが地球上の標的に対して有用な武器になるとは思えない理由

はじめに

本記事は英語圏でSFFレビュアーとして知られるジェームス・デイヴィス・ニコル(James Davis Nicoll)氏による2012年のブログ記事を和訳したものである。ご本人の許可を得てここに公開する。

ロバート・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』で描写された、月面マスドライバー(この記事ではカタパルトと表記)からの岩石投射で地球を砲撃するという手段についての考察である。


翻訳元記事:james_davis_nicoll | Why I Don't Think Lunar Catapults Will Be Useful Weapons Against Targets on Earth

月面カタパルトが地球上の標的に対して有用な武器になるとは思えない理由

長文である。

月の岩がもつ破壊力

もしカタパルトが地球の脱出速度〔11.2 km/s〕に匹敵する速度で物を発射できるのであれば、〔月から地球に届くまでの〕時間差の問題から、地球上にあるカタパルト(動く車輌に搭載されれば「主力戦車大砲」と呼ばれるかも)の方が有利になるだろう。この場合、飛来する岩石のエネルギーは 6×10^7 J/kg 程度になる。比較しておくと、核分裂平和増強装置〔原子爆弾のこと〕は約 9×10^{12} J/kg、そして核融合平和増強装置〔水素爆弾のこと〕は実に 8×10^{14} J/kg である。TNT爆薬の 4.6×10^6 J/kg に比べれば十分な量だが、原子爆弾と化学爆弾のオーダー5~7桁差ではなく、オーダーは1桁差でしかない。

化学爆薬のエネルギーを、もっと小さな塊の発射体に集中させる何か難しい方法が見つかった場合、地球上の化学爆薬による発射体はキログラムあたりの E_{\rm k}(運動エネルギー)で換算すると、月面からの発射体と競合する可能性がある。あるいは撃ち出す数を15倍にすることもできる*1

クレーター形成

クレーターの直径は、衝突体の運動エネルギーの3乗根にだいたい比例する。直径約1 kmのバリンジャー隕石孔は、15メガトン(約 6×10^{16} J)の爆発により形成された。直径\div深さが約6というのは経験則として悪くない〔バリンジャー隕石孔は直径約1.2 km、深さ約200 m〕。

月からの衝突体で2キロトン〔約 8.4×10^{12} J〕の爆発が起こるとしよう。そのクレーターは

\displaystyle 1 \lbrack \mathrm{km} \rbrack \times \left(\frac{8.4 \times 10^{12} \lbrack \mathrm{J} \rbrack} {6×10^{16} \lbrack \mathrm{J} \rbrack}\right) ^\frac{1}{3}

つまり直径約50 mで深さ8 mとなる〔その円錐体積は約 5300\,\mathrm{m^3}〕。

『月は無慈悲な夜の女王』The Moon Is a Harsh Mistress では、シャイアン山〔NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)の地下作戦センターがあったシャイアン・マウンテン空軍基地〕が月からの幾度もの岩石衝突で破壊された。〔その場所が〕半径 r = 1000 m、高さ h = 1000 mの円錐とすると、その体積は約 10^9\,\mathrm{m^3}となる〔なおNORADの元施設は地下610 m にある〕。〔1発で〕生じるクレーター体積を(おおまかに) 5300\,\mathrm{m^3}とすると〔10^9\div5300 で〕ざっくり20万発分となり、およそ30秒に1回発射できるとすると、少なくとも67日以上かかることになる。

注:このとき2キロトンを生む衝突体は、140トンのインゴットである。なぜなら、エネルギー密度が化学反応より1桁しか高くないものから、核兵器並の出力を得るためだ。鉄の弾なら約 18\,\mathrm{m^3}(直径3.2 mの球に相当)になる。オスミウム〔最も密度の高い天然元素〕なら 6.2\,\mathrm{m^3}(直径2.3 mの球に相当)でよい。

NASAは10 cm ほどの大きさの軌道デブリを追跡しており、現代(つまり月カタパルトができる以前の時代)のレーダー技術では、今のところ高度600 km 以下ではあるが、3 mm ほどの小さなものも追跡できる。

そのため、向かってくるインゴットはかなり早い段階で気付かれるだろう。

津波の形成

Hazards Due to Comets & Asteroids(『彗星と小惑星の危機』)から出典明記なしで引用する。

浅い海域への衝突による津波高:

\displaystyle h=1450 \lbrack \mathrm{m} \rbrack  \left(\frac{d}{r}\right)\left(\frac{Y}{ギガトン}\right)^\frac{1}{4}

h:波の高さ

d:水の深さ

r:衝突範囲

Y:エネルギー出力

同じく、深海への衝突による津波高:

\displaystyle h=6.5 \lbrack \mathrm{m} \rbrack \left(\frac{Y}{ギガトン}\right)^{0.54}\left(\frac{1000 \lbrack \mathrm{km} \rbrack}{r}\right)

津波の速度:

\displaystyle X_{\rm max}\sim1.0\lbrack \mathrm{km} \rbrack\left(\frac{h}{10\lbrack \mathrm{m} \rbrack}\right)^\frac{4}{3}

そしてこれは本当に「ものすごく」大まかな経験則である。10 m の津波について、ドーバー海峡の崖に打ち寄せるものに対して、バングラデシュ(確か1700万人が満潮海水面より約1 m 上に住んでいる)を襲うものがどうなるかを考えてみよう〔バングラデシュは国土の50 % 以上が海抜7 m 以下〕。

残念なことに、R・A・ハインラインは英国の沖合への衝突について具体的に書いており*2、それによってマーゲイト〔英国南部ドーバー海峡そばの沿岸町〕における波高が7 cm であるという結論が導かれた。さらに残念なことに、The Effects of Nuclear Weapons(『核兵器の影響』〔1957年刊。以後定期的に改訂版が刊行〕)を読めばこれを推定でき、『月は無慈悲な夜の女王』〔1966年刊〕を書くときにも使えたはずなのだ。

小さなインゴットは小さな津波を生む。大きなインゴットなら、そう、大きい津波となるが、早期に発見され対策されてしまう。

エネルギー

月カタパルトの魅力のひとつは、入力の影響を増大できるということだ。その運動エネルギー E_{\rm k} の大部分はカタパルトから直接得られるわけではなく、〔月から地球までの〕38万 km を落下することで得られる(つまるところ、カタパルトが11 km/s で物を発射できるのなら、それを地球上に設置すれば地球を中心とした準軌道速度で物体を投げられる)。もっとも、その物体は月から持ち出さなければならない。

このとき与える速度を2.5 km/s であるとしよう。各インゴットの質量は14万 kg〔140トン〕なので、運動エネルギーは 4×10^{11} Jである。10Gだと25秒間の加速が必要で、これには16ギガワットの出力がいる。このカタパルトを動かすためには〔カナダのオンタリオ州にある〕ピカリング原子力発電所サイズの原子炉か、それと同等のエネルギー供給源が必要になる。

これにより、ステルスに関する問題が生じる。もし電力の90 % が運動エネルギー E_{\rm k} に、10 % が熱に変わるとすれば、30秒で約1.8ギガワットの熱が発生する。これは深刻な問題だ。なぜなら、熱の放出により標的側が物体の発射を知ってしまうからだ。そしてまた、ラジエータ〔放熱装置〕がどこにあるかも知られてしまうので、攻撃を招いてしまう。

カタパルトにとって隠密攻撃が難しい理由のひとつがこれだ。なぜ私がステルスについて言及するのか、その理由は以下。

標的までの時間

〔月面から〕地球へは低エネルギー軌道だと3~5日かかる(もっとかかる軌道もある)。月からの砲撃は、毎回の発射を熱の放出で喧伝することから始まり、その後、大きくて追跡可能な物体がゆっくりと地球への軌道を進むと、少なくとも72時間後にリソブレーキ〔地面による制動。ここでは衝突のこと〕段階に入る。

比較しておくと、100 km の距離から発射された1 km/s の弾丸は約2分で着弾する(100 kmが1 km/s の弾道体の射程距離内なのを確認するために急いで調べよう)。

標準的な車椅子のおばあさん(Standard Wheelchair Bound Grandmother; SWBG)は、舗装された道路なら毎時2 km、荒れた地面なら毎時100 m で進めると仮定する。24時間ごとに8時間の休息をとるとして、72時間あればSWBGは舗装道路で96 km、不整地では4.8 km 進める。したがって、SWBGは2キロトンの地上爆発による影響をほとんど回避できる。

それに比べ、2キロトンの爆発を引き起こす弾が100 km離れた場所から1 km/s で投げられた場合、SWBGは舗装された地面で70 mしか移動できない(最良のシナリオで)。70 m では2キロトンの爆発の火球の中だ。ほとんどのSWBGは火球の中で生き残れないだろう。

したがって、月からの砲撃は静止目標物に対してのみ有効である。そして、私たちはすでに静止目標物に対して同じくらい効果的な武器を持っており、それは到着するのに半週間もかからない。ゆえに月からの砲撃は、既存の武器による地球上の標的への攻撃に対して競争力を持たない。

訳者付記

この記事では探知装置が地球上にあることを前提としているようだが、カタパルトを月の裏側に設置することで、地球からは見えなくなり熱放射も探知できなくなるのでは――というコメントも元記事には寄せられていた。地球側の探知装置がL4とL5の両方にあったとしても、月面の6分の1は見えないので。ただし月の裏側にカタパルトを置いても、月軌道より外側の軌道に探知装置があれば見つかってしまう。そもそも発射体がレーダーで発見されると、その軌道を遡って発射地点を突き止められてしまう。発射直後に推進剤で軌道をずらす手法を取れば特定されにくくできるが、ただしその分コストが増え、衝突質量も減ってしまうだろう。……という議論がされていたので記しておく。

翻訳に際しての参考文献

*1:地球に衝突する月の岩の1 kg あたりの運動エネルギーと、化学爆薬のエネルギーとの比がだいたい15:1なので。

*2:「イギリスは、ドーバー海峡の北、ロンドン河口を出たところへの衝撃でテームズ河の上流まで高潮が襲うことを警告された。」『月は無慈悲な夜の女王』矢野 徹=訳, 早川書房, ハヤカワ文庫SF, 2010(新装版), p. 588.