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『ジョニーは戦場へ行った』の基になった実話を追う

ダルトン・トランボ (Dalton Trumbo) による小説・映画として有名な作品『ジョニーは戦場へ行ったJohnny Got His Gun が実話を基にしているという話がある。なんでも「第一次世界大戦で四肢や目、耳、口を失いながらも、その後15年間生き続けた英国人将校がいた」というものだ。作品を見た後で知ったこの話が気になったのだが、日本語で検索しても出典を含め詳しいことがまったく分からず、英語で調べてみたらある程度の収穫があったので、ここにまとめておく。

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ジョニーは戦場へ行った (角川文庫)

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まず、英 Wikipedia の「Johnny Got His Gun」の項には、「英国皇太子がカナダの退役軍人病院を訪問し、感覚と手足すべてを失った兵士に会った」という記事をトランボが読んだのが創作のきっかけであるという記述がある。しかし、Wikipedia でもこの箇所の出典が不明なので、さらに調べる。色々なサイトを巡ると、どうやら時代は1930年代で、この兵士は第一次世界大戦のカナダの傷痍軍人とされている。

新聞のインタビュー記事

もう少し調べたところ、トランボがこの件について『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビュー記事内で話しているのを知る。記事を執筆したガイ・フラットレー (Guy Flatley) 氏が、トランボを描いたドキュメンタリー映画 Trumbo の公開に合わせ、2008年に自らのサイトへそれを転載していた。

“In the mid-thirties, the Prince of Wales visited a hospital in Canada. At the end of a hallway, there was a door marked ‘No Admittance.’ ‘What’s in there?’ he asked. ‘We’d rather you not go in there,’ they told him. But the Prince of Wales insisted, and when he came out of the room, he was weeping. ‘The only way I could salute, the only way I could communicate with that man,’ he said, ‘was to kiss his cheek.’”

Dalton Trumbo’s voice is steady, but his eyes narrow at the thought of the butchered, blinded tube-fed body—a “basket case” from the first World War—dutifully kept breathing, but concealed darkly behind a hospital door. And there is one other atrocity that haunts Trumbo’s mind: a British major so torn up that he was deliberately reported missing in action. It was not until years later—after the victim had finally died, alone, in a military hospital—that his family learned the truth.

Those two tormenting images so stuck in the mind of Dalton Trumbo, then a young Hollywood screenwriter, that they drove him to write what is perhaps the most bitter and graphic antiwar novel ever written. It was published in 1939, just three days before the outbreak of World War II, and it was called “Johnny Got His Gun.”

「1930代半ばに、英国皇太子がカナダの病院を訪問したのです。廊下の終わりに『立入禁止』となっている扉がありました。『ここには何があるのですか?』と彼は尋ねました。『そこにはお入りにならないほうがよろしいかと』彼らは言いました。しかし皇太子は押し通し、そして部屋から出てきたときには泣いていたのです。『私が挨拶できるたったひとつの方法、あの人とコミュニケーションできる唯一の方法は』彼が語りました。『その頬にキスすることでした』」

ダルトン・トランボの声は落ち着いていたが、切り刻まれ、盲てチューブで栄養供給され、律儀に呼吸を維持され、しかし病院の扉の向こうにある闇で隠された体――第一次世界大戦が生んだ「バスケット患者」――について考えているときには、目を細めていた。それとは別に、さらにトランボの心を打った非道な行為がある。ずたずたに切り裂かれた英国の少佐が、故意に作戦行動中行方不明として報告されたのだ。何年もあとになってから――その負傷者が軍病院で孤独に死亡したのち――彼の家族は真実を知った。

これら2つの苦痛のイメージが、若きハリウッド脚本家だったダルトン・トランボの心に残り、これまで書かれた中でおそらく最も苦く真に迫る反戦小説の執筆へとつき動かされた。それが1939年、第二次世界大戦勃発のわずか3日前に出版された『ジョニーは戦場へ行った』である。

Dalton Trumbo Remembered It All - Moviecrazed

この『ニューヨーク・タイムズ』紙1970年6月28日付、ガイ・フラットレーによるトランボのインタビュー記事が以下(有料だが、前述したフラットレー氏のページで読めるものと同じだろう)。

さらに、1971年8月29日付の『シカゴ・トリビューン』紙に J. Marks によるトランボのインタビュー記事が載っているのを見つけた。

... But then in 1933, 15 years later, I ran across a newspaper story from London."

The boyish recollection which has brightened his voice vanishes suddenly and he looks profoundly grave as he pauses and clears his throat. "It was about a British major who had been wounded in 1918, and who had been reported to his family as missing in action, tho, in fact, he was hospitalized. After years of treatment the major died and the British Army admitted it had withheld information about the identity of the soldier because his condition had been so absolutely terrible that It would have been impossible for the family to see him.

"Well," Trumbo said, looking at me keenly, "that arouses one's imagination, now doesn't it? I mean, after all, what condition was this man in that they didn't even dare tell his own family he was alive? Well, about a year later, in 1934, the Prince of Wales—now the Duke of Windsor—was visiting a Canadian military hospital. At the end of a corridor there was a door and It was marked 'No Admittance.'

"The Prince asked to be admitted and the officials said they wished he would not make that request. He insisted, and of course they opened the door. When he came out, according to the press, he was weeping. They asked him why he was upset and he told the reporters he had seen in this little closed-off room a man who was so frightfully mutilated that the only way he could possibly communicate with him was to kiss him on the forehead. So these two tragic stories worked in my mind for about five years, and that resulted in the.book 'Johnny Got His Gun.'"

(略)しかしその15年後の1933年、私はロンドン発の新聞記事に出くわしました」

その声を明るくしていた少年時代の思い出は急に消え去り、彼はとても厳しい顔でためらい、咳払いをした。「それは1918年に負傷した英国の少佐についてのもので、彼の家族には作戦行動中行方不明として報告されていたのです。しかし実際には彼は入院していました。何年も看護されたのちに少佐は亡くなり、英国軍は兵士の身元に関する情報を知らせずにいたことを認めました。なぜなら彼の状態はまったくもって無惨で、家族が会うのは無理だろうとされたからです。

「まあ……」トランボは鋭く私を見ながら言った。「想像を巡らしますよね。家族に彼が生きているのを教えられなかったなんて、この人はどういう状態だったのでしょうか? また、1年ほど後の1934年に、英国皇太子(今のウィンザー公)がカナダの軍病院を訪れました。その廊下の終わりに扉があり、『立入禁止』と書かれていたのです。

「入室を許可するよう皇太子が求めると、関係者は彼にその要求をしないでほしかったと言いました。彼は押し通し、当然扉を開けることになりました。報道によると、彼は出てきたときに泣いていたそうです。なぜ動揺しているのかを尋ねた記者団に彼は語りました。この閉鎖された小さな部屋で手足を切断された男と会ったが、彼とコミュニケーションできる唯一の方法は、その額にキスすることだったと。そしてこの2つの悲劇的な話が5年ほど私の頭の中にあり、それが『ジョニーは戦場へ行った』となったのです」

August 29, 1971 - Trumbo Film Born of World War I | Chicago Tribune Archive

おそらく現在知られている「実話を基にした」という話はすべて、これらの記事の記述から派生したものだろう。ということで、以下の2人について報じられた新聞記事をトランボが読んだことが作品成立に影響したといえる。

  • 英国皇太子がカナダの病院で会った、(おそらくは四肢切断されて)チューブで栄養供給され(?)、呼吸も人工的に維持されていた(?)盲目のカナダ人兵士
  • 負傷後に作戦行動中行方不明(MIA)とされて軍病院へ隔離され、状態が酷すぎて(四肢切断かは不明)家族にも知らされず数年後に孤独のうち死んだ英国軍の少佐

トランボが読んだ記事は?

トランボが読んだのではないかという当時の記事をこちらで引用している人がいたので、そこから孫引き。エドワード8世退位についての、1936年12月のAP通信記事らしい。

…The poignant story told from the pulpit of every church in England a few years ago:

Visiting a war veterans' hospital in Canada, [Prince] Edward suspected he had not been shown all the patients. He had heard of a "ward of the living dead." The hospital officials protested. It was too horrible. Edward insisted.

And presently he stood at the beside of a human atrocity, a relic of the war — maimed and disfigured beyond recognition, eyeless, mute and deaf.

Edward turned pale. But he did not flinch.

He leaned over, and gently he kissed the blind, hideous face.

(略)数年前に英国中の説教壇で語られた感動的な話がある。

カナダの退役軍人病院を訪問したエドワード(皇太子)は、すべての患者を見せられていないことに気づいた。彼は「生きる屍の病棟」について聞いていた。病院関係者は抗議した。そこはあまりにも恐ろしいところだった。エドワードは押し通した。

そしていま、彼は戦争が遺した無残な人間の傍らに立っていた――認識できないほどの不具や醜い傷、盲、唖、聾。

エドワードは青ざめた。しかし、彼はひるまなかった。

彼はかがみ込みむと、盲目の醜い顔にそっとキスをした。

Straight Dope Message Board - View Single Post - Johnny Got His Gun

「立入禁止」となっている扉のことが出てこないなど、先のインタビューにある話とは少し内容が食い違っており、1934年の記事でもないため、残念ながらトランボが読んだのはこの記事ではなさそうだ。該当する記事を探してみたが、軽く検索した程度では出てこなかった。

また、もう一方の英国軍少佐についての記事も詳細は不明である。1920-30年代の新聞記事を丹念に調べてみないとわからないだろう。日本語圏で出回っている「15年間生き続けた」という話については、トランボの発言によれば1918年に負傷しており、さらに1933年にロンドン発の新聞記事に出たということで、この差から15年という数字になったのかもしれない。しかし明確な年数については言及されておらず、信憑性は疑わしい。

カナダ黒人兵士が元ネタか

ついでながら、カナダ人の黒人兵士でエセルバート・"カーリイ"・クリスチャン ​(Ethelbert "Curley" Christian) という人物がおり(画像)、彼が作品の元ネタなのではないかという話も出回っていたので、調べてみた。

カーリイは第一次世界大戦中の1917年4月9日、ヴィミー・リッジの戦いヴィミーの尾根の戦い)の際、前線の塹壕へ物資を届ける任務中に砲撃を受け、2日間も塹壕の土砂に埋まっていたところを救助された(さらに担架で搬送中にも砲撃されて搬送者が死んでいる)。手足が壊疽していたことから切断手術を施され、かろうじて命を取り留めた。リハビリ中にジャマイカ出身の介護ボランティアだった女性と出会い、1920年に結婚。トロントで暮らし、息子を授かっている。彼は第一次世界大戦で四肢切断されたのちも生き続けた唯一のカナダ兵となったらしい。ちなみに彼の治療と介護は、その後のカナダ軍退役傷痍兵支援プログラム成立の一助となったという。

カーリイの正式な名前は「エセルバート」だが、縮れ毛 (curl) だったことから母親に「カーリイ」とニックネームをつけられ、文書ではこの名で記されていることも多いらしい。生年もぶれがあり、軍の記録では1882年米ペンシルベニア州ホームステッド生まれだが、1884年バージニア州生まれだという家族の話もある。

1936年7月、カーリイは6200人の退役兵と共にフランスにあるカナダ国立ヴィミー記念墓地に招待をうけ、妻と訪れている。退役兵の中には盲目の者も多く、彼らは大戦中に使われた化学兵器、特に塩素ガスによって失明していた。ここで彼は盲目のカナダ退役兵グループの紹介で、同じ除幕式に出席するため訪れていた英国王のエドワード8世と会っている。これは新聞でも報道された。

カーリイはこのとき「18年前にトロントであなたとお会いしました」とエドワード8世に語っている。皇太子時代のエドワード8世と1919年に出会っていたという。このときの彼は四肢を失って病院でリハビリ中だったはずだ。ということは、トランボが語った「皇太子がカナダの病院を訪問した」というのは1930年代半ばのことではなく、1919年のことではなかろうか。第一次世界大戦が終わったのは1918年。1930年代では戦争が終わってから時間が経ちすぎており違和感があったのだが、それならば納得がゆく。つまり新聞記事が出たのは1930代半ばだが、そこに書かれていた英国皇太子のカナダ病院訪問は終戦直後の話で、トランボが混同していたと考えると辻褄が合う。

では、このカーリイが『ジョニーは戦場へ行った』の元ネタ記事で書かれた人物のひとりなのだろうか。状況的にそう考えてもよさそうだ。ただしそうなると、『ニューヨーク・タイムズ』の「盲てチューブで栄養供給され、律儀に呼吸を維持され」ていた患者というのがカーリイのことになるのだが、彼は盲目にはならなかったし顔のパーツも失っていないので変だ。『ニューヨーク・タイムズ』のこの記述は、トランボの発言としてではなく記事の地の文に出てくるため、もしこれがカーリイのことだったとすると、ここは執筆者のフラットレーが勝手に思い込みで書いてしまったのかもしれない。または、当時の同じ病院には四肢を失った兵士が他にもいたのかもしれない。

ひとまず終了

これ以上調べるには、以下にあるようなサイトから当時の新聞を丹念に漁るしかないので、どうしても気になる方はどうぞ。そして調べた結果を教えていただきたい。

参考

「ローマの休日」を仕掛けた男 - 不屈の映画人ダルトン・トランボ

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ダルトン・トランボ: ハリウッドのブラックリストに挙げられた男

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