「息をしなくても酸素呼吸ができる粒子」について

発端

面白そうなニュースだが、なぜ情報源となった英語の記事やプレスリリース、論文などへのリンクがないのか?(この不満は日本語圏のWebで科学系ニュースを配信しているほとんどの媒体にいえることだ)

だいたい見出しが「発明」なのに本文で「画期的な粒子を発見」はおかしい。そうかと思えば「救急医療のために発明」とまた「発明」が出てくる。発明と発見は違うのに……。記事のライターは丸子かおり氏(Twitter)。

ともかく、このニュースが単なるヨタなのか確認すべく、「ボストン小児病院」「ジョン・ハイル」「酸素」というキーワードを頼りに英語で検索してみた(こういう手間がかかるからソースの記載やリンクを貼ってほしいのだが)。

調べた結果

記事中の「ジョン・ハイル」はおそらくこの John N. Kheir 氏だろう。Kheir を「ケイル」ではなく「ハイル」と読むとすると中東系なのだろうか。本当にこの読みが正しいのかは不明。

で、元になる情報はこれ。ボストン小児病院のニュースページにあったが、日付は2012年6月27日なので1年前だ。

上の記事によると論文掲載は Science Translational Medicine 誌の2012年6月27日号らしい。論文自体は登録会員しか見られないようだが、アブストラクト(概要)だけなら以下で読めるのでざっと和訳してみた(追記:論文全体はここで読める)。英語は苦手な上に医療系はよく知らないので、誤りがあればご指摘を。

We have developed an injectable foam suspension containing self-assembling, lipid-based microparticles encapsulating a core of pure oxygen gas for intravenous injection. Prototype suspensions were manufactured to contain between 50 and 90 ml of oxygen gas per deciliter of suspension. Particle size was polydisperse, with a mean particle diameter between 2 and 4 μm. When mixed with human blood ex vivo, oxygen transfer from 70 volume % microparticles was complete within 4 s. When the microparticles were infused by intravenous injection into hypoxemic rabbits, arterial saturations increased within seconds to near-normal levels; this was followed by a decrease in oxygen tensions after stopping the infusions. The particles were also infused into rabbits undergoing 15 min of complete tracheal occlusion. Oxygen microparticles significantly decreased the degree of hypoxemia in these rabbits, and the incidence of cardiac arrest and organ injury was reduced compared to controls. The ability to administer oxygen and other gases directly to the bloodstream may represent a technique for short-term rescue of profoundly hypoxemic patients, to selectively augment oxygen delivery to at-risk organs, or for novel diagnostic techniques. Furthermore, the ability to titrate gas infusions rapidly may minimize oxygen-related toxicity.

静脈注射用の、純酸素を核とした自己集合性の脂質ベース微粒子を含んだ、注射可能な発泡懸濁液を我々は開発した。試作の懸濁液は懸濁液1dLあたり50〜90mLの酸素を含むように作製した。平均粒径2〜4μmで、異なる大きさの粒子は均一に分散していた。体外でヒト血液と混合すると、70体積パーセントの微粒子から酸素の移動が4秒以内に完了した。微粒子を低酸素血症のウサギに静脈注射すると、動脈の酸素飽和度が数秒で正常に近いレベルまで増加したが、注入を停止した後は酸素圧の減少が続いた。また、完全気道閉塞のウサギに粒子を15分間注入した。酸素の微粒子はこのウサギ達の低酸素血症の度合いを著しく減少させ、心停止と臓器障害の発生率が対照と比較して減少した。血流に直接送った酸素やその他のガスを管理する技能は、深刻な低酸素血症患者に対して、リスクのある臓器へ酸素供給を選択的に増やす一時的な救命技術や、新たな診断技術へ向けた意義がある。さらに急速にガス注入液を滴定する技能は、酸素に関連した毒性を最小限に抑えることができる。

ということで、ウサギで実験した模様。なお、以下の記事では Kheir 氏本人が解説している。酸素に乏しい赤血球と接触した微粒子は酸素を急速に放出し、残った脂質の殻は体内で代謝されるのだという。

また、Advanced Healthcare Materials 誌にも Kheir 氏らの論文が出ている(2013年3月8日)。この LOM (Lipid-based Oxygen Microparticles) と呼ばれる酸素を含んだ微粒子の溶液を大量に作る方法が記載されているらしい。

こちらのアブストラクトは斜め読みしただけで訳す気にならなかったが、この一文だけは気になった。

Distinct from blood substitutes, LOMs are a one-way oxygen carrier designed to rescue patients who experience life-threatening hypoxemia, as caused by airway obstruction or severe lung injury.

LOMは代用血液とは異なり、気道閉塞や重度の肺損傷によって重篤な低酸素血症となった患者を救うために設計された、一方向の酸素担体である。

担体というのはキャリア、輸送するもののこと。「一方向の酸素担体」ということは、つまり血液のように酸素を渡して二酸化炭素を受け取ったりするのではなく、ただ一方的に酸素を渡すだけのものということだ。二酸化炭素や老廃物、そして養分の運搬などがおこなえないということは、これだけで長時間過ごすことは不可能だろう。あくまでも一時的な救命のため開発されたものである。

ニュース記事

以下はこの研究について触れているニュース記事など。英語圏のものは全て2012年6月27日付。

日本語圏でもいくつか記事があったようだ。1年前に取り上げていたところもある。

  • 救急の場面で、心停止や喘息発作あるいは溺水やその他の大災害の患者で、できるだけ早く酸素を送る必要があるとき
  • 戦場で、出血性ショックの負傷した兵士の挿管が難しいとき
  • 集中治療室で、肺の障害や病気、重症のぜんそく発作、肥満や気道が屈曲しているなどで、通常のマスクからの酸素供給では間に合わない時
酸素をバブルで血管内に???? | From 越谷ツインシティ with Heart

重複配信

そしてなんと IRORIO は昨年の7月と今年の5月にも同じような記事を出していた(つまり今回で3回目)。それぞれのライターは昨年出た記事が安藤彩夏氏、今年5月に出た記事が下田裕香氏で、今回の記事を書いた丸子氏とはともに別の方らしい。しかし自サイトが過去2回も配信した記事内容くらい把握していないのだろうか……。

液体呼吸との違い

『アビス』や『新世紀エヴァンゲリオン』などに出てくる液体呼吸と混同している人がいるようだが、今回の技術は「酸素を含んだ微粒子溶液を静脈注射して送りこむ」というものなので、肺に入れた液体から酸素を取り込む液体呼吸とはまったく別物である。なお液体呼吸は実際の医療現場だと未熟児の治療などに使われた実績があるようだが、まだまだこれからの技術のようだ。

人間への応用(2013-07-10追記)

別のサイトで同研究を紹介する記事が配信された模様。ソースは1年前の Science Daily だが、リンクしてあるだけまだまともか。

しかしそもそも元にしている Science Daily 記事では、人間の救急救命治療に使う場合についてこう書かれている。

The microparticles would likely only be administered for a short time, between 15 and 30 minutes, because they are carried in fluid that would overload the blood if used for longer periods, Kheir says.

おそらくこの微粒子は15〜30分間という短時間だけしか投与されないだろう。流体で運ばれているため、長時間使用した場合は血液に負担をかけすぎるからだと Kheir 氏は語る。

それなのに、一体どこから「スクーバ・タンクを背負わずに、酸素注射を打ってダイビング」なんて話が出るのだろうか。

成人安静時の脳酸素消費量は3.5ml/100g/分で、これは全身酸素消費量の約20%に相当する。脳の重さを1400gとした場合、全身を30分間維持するための酸素量を計算すると7350mlとなる。約7.4リットルというのは結構多い……。今回のこの溶液(微粒子)はヒト赤血球と比較して3〜4倍の酸素含有量らしいが、けっきょく必要な酸素量自体は変わらないはずなので、これだけで無呼吸30分間維持は難しいのでは。ダイビング云々については言わずもがな。

上に挙げた Popular Mechanics 記事のヒトへの応用について書かれている部分を和訳してみたが、課題は多い。

Because humans are much larger than rabbits, keeping a person’s blood oxygen levels up during an emergency would require injecting much larger volumes of the oxygen microparticles continuously. Kheir estimates that to keep an adult alive for ten minutes, doctors would need to inject 2 liters of oxygen microparticles into the patient’s body. Imagine trying to empty a 2-liter soda bottle into your blood stream in just a few minutes.

Fortunately, he says, your hemoglobin picks up oxygen quickly and the empty phospholipid shell collapses, so the actual volume added to the bloodstream is closer to 600 or 700 milliliters. Kheir would like to decrease that volume even more by increasing the concentration of microparticles, but the team has its work cut out. Although Kheir and colleagues managed to create a substance that contained 90 percent oxygen microparticles and only 10 percent fluid, the substance had the consistency of shaving cream and couldn’t be injected effectively. The mixture that they tested in rabbits was closer to 65 percent oxygen.
The team also must determine any long-term risks of the treatment, and figure out how the body breaks down the phospholipids shell once it releases its oxygen, before a drug like this makes it to the hospital. "There’s a lot of obstacles that would have to be dealt with," Wessel says, "but this represents a very novel idea with potentially enormous benefits."

人間はウサギよりもはるかに大きいため、緊急時に血中酸素濃度を維持するには、はるかに多量の酸素微粒子を連続的に注入する必要があるだろう。Kheir の見積もりでは、成人の生命を10分間維持するために、医師は患者の体内に2Lの酸素微粒子を注入する必要がある。2Lのソーダ瓶を空にすべくわずか数分で血流へ注入するのを想像してみよう。

幸いなことにヘモグロビンがすぐ酸素を吸収して、空になったリン脂質の殻は崩れるので、実際に血流へ加える量は600または700ml程度だろうと彼は言う。Kheir は微粒子濃度を増加させることによってさらにその量を抑えたいのだが、チームはその作業を省いている。Kheir らは酸素微粒子90%・液体10%の物質を作り出すことに成功しているが、それはシェービングクリームのような粘度を持っており効果的に注入することができなかった。ウサギで実験した混合物は酸素65%程度になった。

また、チームはこのような薬を病院で使う以前に、治療の長期的なリスクも判断し、さらにいったん酸素注入をやめた後の体がリン脂質の殻をどう分解するのかを解決せねばならない。「対処すべき障害はたくさんあるが、しかしこれは潜在的に大変有益で非常に斬新なアイデアだ」 と Wessel 氏は語る。