1970年代の狂気:核爆発によるクラ運河開発計画

過去の自分は8割がた調べたあたりで気が済んだらしく、本記事は長らく下書き状態にあった。久々に読み返してみて、もったいないと感じたのでとりあえず公開しておく。ここ5、6年以上は関連記事なども追っていないので、最近の情報はないことに注意。各リンク先も生きているかは確認していない。

クラ運河とは

海峡とは逆に、2つの陸をつなぐ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地のことを地峡という。タイのマレー半島の最も狭い部分であるクラ地峡Googleマップ〕を開削し、東のタイランド湾(南シナ海)と西のアンダマン海(インド洋)を水路で結ぼうという構想が古くからあり、この仮想運河をクラ運河、またはクラ地峡運河と呼ぶ。かつてスエズ地峡にスエズ運河を、パナマ地峡にパナマ運河を建設したのと同様な考えである。

Thai Canal map-de

Maximilian Dörrbecker (Chumwa), Public domain, via Wikimedia Commons

1970年代、米国の水爆を利用したクラ運河開発計画が持ち上がった。計画には日本の総合商社である日商岩井(現・双日)らが絡んでいたため、問題となって国会で取り上げられた。結果的にこの計画は実現しなかったが、こういった土木工事や資源採掘などに核爆発を利用することを、一般に平和的核爆発と呼ぶ。

核兵器関連で調べものをしていた中で見つけた、愛媛新聞1974年2月3日の画像*1からこのクラ運河騒動を知った。以下はその画像(明るく補正済み)及び記事からの引用である。あらかじめ断っておくが、本記事内の引用では数字表記の多くをアラビア数字に変更している。

もともとマレー半島横断運河の建設は18世紀以来の“夢”といわれるが、72年9月、タイ石油精製社長で有力華商(台湾系)のK・Y・チャウ氏がタイ政府から予備調査実施の許可を得て、アメリカの“水爆の父”と呼ばれるエドワード・テラー博士のローレンス・リバモア研究所、未来学者ハーマン・カーン博士のハドソン研究所など4つのコンサルタントに調査を依頼してから急速に具体化してきた。

同時にチャウ氏のもとで、アメリカのLTV社、日本の日商岩井、フランスのシトラ社が推進グループに選ばれた。これらのグループは、昨年3月米国オークランド、4月パリ、7月東京と3回にわたって国際会議を開き、具体的な計画を検討、その結果に基づき、昨年9月1日、約600ページ(英文)の予備調査報告書がチャウ氏からタイ政府に提出されるなど、計画推進作業は急ピッチで進んだ。

愛媛新聞1974年2月3日

記事の中で、日商岩井機械本部の課長がこんなコメントをしている。

現在は運河建設の方法と可能性について調査している段階で民間ベースで進めている。核利用については専門家が絶対安全だといっており、平和利用の道が開かれ、工期が短くて安くできるという利点があるなら、結構ではないかと思っている。

愛媛新聞1974年2月3日

現在から見ると正気の沙汰とは思えない構想であるが、日本が関与していることもあり、この計画の詳細に興味が湧いたので調べてみた。

国会でのやり取り

予備調査報告書

まず、国会でどのようなやり取りが繰り広げられたのか見てみる。以下は、1974年(昭和49年)2月6日の衆議院予算委員会議事録より。質問者は岡田春夫(日本社会党)で、当時の総理大臣は田中角榮。なお、時代的には第2次石油危機の初頭である。

○岡田(春)委員 (略)これはクラ運河の、英文ですが、宣伝パンフです。(略)

そのパンフの中にも水爆を使う区間が書いてあります。水爆を使う区間――しかも、昨年の9月1日のタイ政府に提出をした予備調査報告書の中に、第5点として「基本的な結論」、これに2つの項目がある。第1の項目ではこのように書いてある。これは英文でここにあります。第1の点は「運河は普通工法で技術的に建設可能である。しかし運河の西部をすでに開発されている技術の核爆発工法(プラウシェア)によって開さくすることはまた可能であり、真剣に検討する十分な理由がある。」また、第6「核の選択」、この項目がある。この中には「部的に核爆発工法を受け入れることは、運河の融資にとり重要な意味を持っている。部分的核爆発の使用は経費の40%軽減を意味し、ゆえに動員される資本の軽減を意味する。この大幅な節約は、この案」いわゆる核爆発工法「を最も真剣に検討することを正当化させる」、このように書いてある。

衆議院会議録情報 第072回国会 予算委員会 第13号

「タイ政府に提出をした予備調査報告書」というのは以下だろう。5分冊で全600ページらしい(後述)が、残念ながらWeb上では内容が確認できない。というより、実物もどこへ行けば読めるのか不明。

「水爆の父」テラーの関与

そしてここで、「水爆の父」エドワード・テラー放射性炭素年代測定法を開発したウィラード・リビーの名が出てくる。

○岡田(春)委員 (略)昨年の7月の10日から3日間、東京の帝国ホテルでこのプロジェクトの推進体の第4回目の会議が行なわれた。この第4回目の会議が最終的な会議であった。この会議には原水爆の関係者が非常にたくさん出ている。たとえば、アメリカから水爆の父といわれるテーラーという博士、ノーベル賞をもらったリビーという博士、これらの人々が出て、日本からも出ているのですが、これはあとで伺います。

この会議によってまとめられたものが、水爆工法によるものです。この水爆工法によるもの、こういう報告書が政府のところへも来ているはずだが(略)

衆議院会議録情報 第072回国会 予算委員会 第13号

これに対する政府答弁を要約すると、「タイの民間石油会社から依頼を受けた日欧米の調査機関が、その報告を出す国際会議を7月末の東京で行なった。日本側は調査委嘱を受けた日商岩井の人間が出席。オブザーバーとして外務省の係官も出席したが、あくまで民間レベルのものなので政府は無関係だし、報告書についても知らない」――というもの。

水爆工法とその影響

次に岡田氏は大きな地図を掲げながら報告書の内容について解説。

○岡田(春)委員 (略)報告書は5分冊で600ページあるが、この第4分冊は原爆、水爆の爆発工法が詳しく述べられている。

(略)クラというのは、マレー半島の、しかもマレーシアに近いところです。これがあなたのおっしゃった103キロ、この部分に運河をつくります。その運河の開さく法は、ごらんください、103キロの中で45.5キロ、ここを原爆でやるのです。赤くなっているところを原爆でやるのです。これは約半分が原爆でやる。原爆でやる場合に放射能がどのように出るか。これは何か朝日ジャーナルやなんかにも書いておりますが、あれは正確じゃありません。放射能はこのように出るのです。ニコバル群島に及ぶのです。その放射能は、飛んでスマトラを通って、そして日本方面に流れるわけです。(略)

まず第1に、原爆を使う場合こういうことになります。原爆を使う以外にないのですが、このクラ運河の規模は50万トンタンカーの運航可能な水路をつくる。この水路は1水路型と2水路型とある。工事期間と費用は、まず工事期間は、普通工法によれば10年ないし12年、水爆を使う場合には6年ないし10年。1水路型の場合の経費は、普通工法の場合に56億ドル、水爆を使う場合には35.4億ドル、2水路型の場合には、普通工法は110億ドル、原爆工法は62億ドル。

それから出資はどのように予定されているか。出資は公的金融機関として世界銀行、アジア銀行。日本も関係していますよ、アジア銀行。アラブのオイル資金、それから日米欧の政府金融機関、それから民間銀行は日米欧の約20の民間銀行、これが出資の予定である。

水爆の使用は、先ほど申し上げたタイの政府に出された報告書にはっきり出ているが、東京会議で最終的に決定された。

水爆を使う区間は、いま言ったように45.5キロ。

水爆の使用量、そこに書いてあります統計の一番上を見てください。1水路型の場合には176個水爆を使う、2水路型の場合には136個使う。ですからこれは、朝日ジャーナルその他の新聞に出ているのは正確でありません。これが正確です。

エネルギーの総量は、1水路型の場合には42メガトン、2水路型の場合には105メガトン。42メガトンというのは、広島で使った原爆の2100倍です。2水路型の場合には、105メガトンですから5250倍です。こういうおそるべきことを考えている。

そして水爆による影響。どういう影響があるか、それはまず地震です。1回5メガトンの水爆をやりますから、それを1日に3回やるんですから、3回地震が起こるのです。

第2、放射能の死の灰ですね、降下灰。これはどのように及ぶか、これはここに書いてある。この地図のうしろを見てください。人間が許容されるラジウム、それは最大限度0.17Rというのを受けると、これは人間は死ぬのです。その0.17Rを受けるのが一番外側の線です。この地図のうしろ、このように放射能が出る。しかもこのような放射能がすぐ近くのニコバル諸島に及ぶのが15時間、スマトラ島に及ぶのが36時間。もし水爆の実験をやれば、このような形で死の灰が降ってくる。しかもそれに、そのような場合にこの部分から立ちのきする人口は全部で21万5000、この地域人口の約4割5分が立ちのきしなければならない、立ち入りの禁止期間。この禁止期間は非常に不確定ですが、一応第4分冊の報告書に書いてあるのは、6カ月ないし1週間と書いてあります。しかしこれは正確ではありません。もっと6カ月以上です。こういう実態です。(略)

衆議院会議録情報 第072回国会 予算委員会 第13号

その後、民間企業といえども日本が水爆による運河開削に関与するとなると、部分的核実験禁止条約(PTBT)に違反するはずではないかと岡田氏が追求する。加えて、日本側からも省の事務官を含めて様々な人間が東京の会議に出席していることを指摘。そして東京会議で決定された最終報告書(=予備調査報告書)が省に上がってるはずだとか、11月21日に作られた外務省のマル秘資料が官庁に配られているとか、先だっての首脳会談でクラ運河の話は出たのか(1月に田中首相は東南アジア各国を訪問している)、といった質問になって終了。

図書館で当時の朝日・読売の両新聞縮刷版を調べてみると、どちらも2月6日夕刊の1面でこの予算委員会の質問について取り上げていた。ちなみに翌7日の新聞は、6日に発生した在クウェート日本大使館占拠事件の話題で埋まっており、それに押し流されたかのようにクラ運河の記事の扱いは小さくなっていた。

本筋からは外れるが、上の岡田氏の質問にある「人間が許容されるラジウム」というのが謎だ。またこの直後に出てくる「0.17R」というのは、かつて使われていたレントゲンという単位だろうか? もしかして「人間が許容されるラジウム」は「人間が許容されるレントゲン」の間違い? 1レントゲン(R)は0.00876グレイ(Gy)なので0.17レントゲンは0.0014892グレイ。シーベルト(Sv)への変換にはざっくり1グレイ=1シーベルト換算を使うとそのままなので1.4892ミリシーベルト。単位時間が不明だが、この程度の線量なら短時間で人間が死ぬはずもないので、何かがおかしいように思える。報告書を確認してみたいが、果たしてどこで読めるのやら。

質疑の続きと、米軍の協力姿勢

このクラ運河建設計画を巡る国会質疑は、同年3月11日の予算委員会へと続いている。質問者はふたたび岡田春夫。

○岡田(春)委員 (略)この間、私、質問いたしました問題の中で、外務省が、秘密資料があって、この秘密資料は、この間私の手元に提出をされました。「クラ地区(南タイ)運河建設計画について」、こういう秘密資料でございます。私がこれを出しましてから、秘密の格づけを若干下げたようでございますが、ともかく秘密資料には間違いございません。

これによりますと、この秘密資料の日付は、昨年の11月21日付です。この17ページには「今後本計画が具体的進展を見る場合、資金手当等の関係からも、わが国に対し資金協力要請等の具体的アプローチがあることは十分予想される。」「しかも現在の計画通り、50-100万トン級のタンカーの通航が可能となれば、運河の通航料を考慮しても、原油の輸送コストの大幅な節約が期待される等のメリットが考えられるところ、前向きに検討するに値するものと考えられる。」このように書いてある。また「わが国としても、多大の関心をもって、本計画の今後の推移を注視すべきであろう。」と、外務省ははっきりいっている。これは秘密文書の中のそのままを引用したのであります。文書はここにございます。

先日私が質問したのに対して、田中総理大臣をはじめ大平外務大臣、中曽根通産大臣らは異口同音に、政府としては、これは関係がない、関知はしておらないと言われておりましたけれども、この資料を見ると、明らかに前向きに検討しろということまで書いてある。しかも、大体この資料が出されたということそれ自体に、あなた、検討しているということを裏書きしているんじゃありませんか。私は、この前申し上げた5分冊の600ページの資料を全部検討いたしました。外務省で書かれている、秘密文書の中に書かれていることは、大体において正確です。あれを見ておらなければこれは書けないはずです。しかも、積極的に関心を示して、「前向きに検討するに値する」とまでいっている。とするならば、田中総理は、この前、これに対してはわれわれはあまり関知しておらない、政府としては関知をしておらないと答えておられる。そうじゃない。こういうはっきりした事実が出てきておる。(略)

衆議院会議録情報 第072回国会 予算委員会 第30号

これに対する首相答弁は、あくまで外務省は計画を勉強・把握しているだけであり関係はしていないというもの。

岡田氏はアメリカ軍が協力する意向を示していたことも指摘している。

○岡田(春)委員 1973年4月18日付、タイ国内務大臣P・チャルサシアラより駐タイアメリカ大使レオナード・アンガーあての公文書です。この公文書の中には、「本調査の諸結果は、運河港湾複合体についての政策立案に用いられることになるから、最終提案に先立って公平な権威者によって吟味されることが望ましい。運河の設計、建設に関して、アメリカ軍技術部隊が、世界の他のどの機関よりも多くの知識と経験を持っていることは周知のとおりであり、昨年ワシントンで公式討議が行なわれたとき、同技術部隊としては、公式要請があれば、その検討を行なう用意があると表明していることを申し添える。」いまのは、私、英文を和文として翻訳をして言いました。これを見ても、アメリカの軍隊がこのクラ運河の水爆をやる、こういうことが事実として明らかになっております。公文書で明らかでございます。(略)

衆議院会議録情報 第072回国会 予算委員会 第30号

当時の雑誌記事

国会図書館のサイトで調べてみると、こういった週刊誌の記事があったことがわかる。

『サンデー毎日』記事

さっそく『サンデー毎日』の記事を入手。岡田氏が地図を掲げて解説した、放射性物質の拡散予想についてもこう書かれていた。

一方、爆発によって起こる例の原子雲は、東風に乗ってインド洋に抜けたあと、高層のジェット気流に押されてUターン、72時間後にはスマトラ島上空に達するという。

「『クラ運河計画』の全貌―水爆176発、22万人強制移住」, 『サンデー毎日』, 毎日新聞社, 第53巻, 第8号(通巻2896号), pp. 27-30, 1974.

以下の画像の地図に引かれた矢印線は、この動きを示したものだろう。

「『クラ運河計画』の全貌―水爆176発、22万人強制移住」, 『サンデー毎日』, 毎日新聞社, 第53巻, 第8号(通巻2896号), pp. 27-30, 1974.

このとき計画された地理的な場所(「ルート5A」と呼ばれる)については、以下の地図が分かりやすい。岡田氏の質疑で「103キロの中で45.5キロ、ここを原爆でやるのです」とあったが、地図中の「核使用」と書かれた部分が45.5kmの水爆工法による開削予定ルートだ(なぜかこの地図では全長が102kmになっているが)。

「『クラ運河計画』の全貌―水爆176発、22万人強制移住」, 『サンデー毎日』, 毎日新聞社, 第53巻, 第8号(通巻2896号), pp. 27-30, 1974.

計画に水爆を利用するという案はテラーのいるローレンス・リバモア研究所から出されたものらしいが、核兵器に対するテラーの肯定的な言動について知っていると実に納得できる。これは東京会議におけるテラーの発言。

「私のつくった水爆は、きれいな水爆だ。クラ運河ではもっときれいな水爆を使う」

「『クラ運河計画』の全貌―水爆176発、22万人強制移住」, 『サンデー毎日』, 毎日新聞社, 第53巻, 第8号(通巻2896号), pp. 27-30, 1974.

計画立案者

計画の立案者である華僑資本家K・Y・チャウ(K. Y. Chow;漢字表記は「周栄光」)氏についてだが、本名は Chow Chowkwanyun。1948年に中国からバンコクへ移民し、タイ工業化時代の初期にいくつもの基幹産業工場を設立。その後タイ石油精製株式会社(Thai Oil Refinery Company Limited)社長となり、The Education & Public Welfare Foundation(教育公共福祉財団)を創設した人物。

チャウ氏は当時のタイ政府(タノム首相)からクラ運河計画の立案を委嘱され、米国コンサルタント会社に依頼し調査を実施。1973年9月に「クラ運河港湾複合体」を設立し、そこへ事業参加した企業の中に日商岩井が入っていたというわけらしい。

以上は『サンデー毎日』記事と、財団のサイトにある紹介ページを参考にした。なおサイトには過去のフラグシップ計画のひとつとして、クラ運河計画を解説したページがある。ここにある計画の画像はおそらく『予備調査報告書』からのものだろう。

計画の関連文書

『サンデー毎日』記事には『予備調査報告書』以外の関連文書についても書かれていたので、先の国会質疑の内容と併せて、関連文書を以下に並べてみる。

  • Preliminary Survey Report: Kra Canal Complex, Tippetts-Abbett-McCarthy-Stratton (TAMS), Robert R. Nathan Associates (RRNA), Hudson Institute, 1973-9-1. - いわゆる『予備調査報告書』。5分冊で全600ページの最終報告書。英文。
  • 『核掘削実験の結果概要』 - 1973年3月にネバダ核実験場で行われた実験結果を、テラー率いるローレンス・リバモア研究所がまとめた文書。東京会議で提出された。英文。
  • 『南タイのクラ運河・港湾、工業地帯経過報告書』 - 1973年11月にバンコクのクラ運河調査事務所がまとめた、全45ページのPRパンフレット。英文。    
  • 『クラ地区(南タイ)運河建設計画について』 - 1973年11月21日に作成され、他の官庁に配られた外務省の秘密資料。

過去のクラ運河構想

この1974年の運河建設計画はタイ政府の閣議で了承されたらしいが、後に国家安全会議にて軍事上の理由から棚上げとなったことで実現しなかったという。その後もクラ運河建設計画は何度も浮上しては消えている。過去のクラ運河構想を並べてみた。

  • 1677年、アユタヤ王朝時代のナーラーイ王が、ソンクラーからビルマ(現・ミャンマー)までを繋ぐ物資輸送用の水路建設の可能性についてフランス人技師 de Lamar (ドゥラメール?)に尋ねるものの、当時の技術では不可能と判断(この頃タイへ進出してきたフランスがソンクラー県に交易所を開設していた)。
  • 1793年、初代国王ラーマ1世の弟が、隣国ビルマの侵入に対抗すべく、マレー半島中央部東岸にあるソンクラー湖から西のインド洋までを結ぶ運河を防衛線として構想。
  • 1858年、ビルマを統治していた英国(東インド会社)が、インドと中国を結ぶ貿易路としてクラ運河建設を検討。ラーマ4世の許可を得るも資金不足で実現せず。
  • 1863年、英国人技師2人がクラ地峡を踏査し、地形が山勝ちなことから運河建設は実現不可能と判断して鉄道建設を勧告。その少し前にロンドンのロイド財団も鉄道案を作成。
  • 1882年、スエズ運河を完成させたフェルディナン・ド・レセップスとパナマ運河チームが現地調査を実施。タイ国王によって詳細に調査することは許されなかった? フランス政府も独自の調査を行ないラーマ5世に運河建設を申請するも、国王は許可せず。
  • 1897年、タイと英国はシンガポール港の優位性を守るため運河を建設しないことに同意。
  • 1946年、フランス政府がクラ運河に手を出すという情報を得た英国政府は、「英国の合意なしには運河計画に手をつけない」という協定をタイ政府と結ぶ。
  • 1960年、バンコクの事業家がクラ運河計画調査の許可を政府に求めるも、1964年にタイ国会がこれを棚上げ。
  • 1973年、タイ国家行政委員会が米国のコンサルタント会社に事業化調査を委託し、水爆工法を提案した報告書が提出される。
  • 1986年頃にも動きがあった。
  • 2002年~2003年、香港の会社が事業化調査のための資金提供を申し込む。タイ上院がクラ運河調査団を組織。

参考

*1:http://a-draw.com/src/a-draw.com_6661.jpg(via http://chaos2ch.com/archives/3778728.html#comments)より。なおアップロード者は「昭和48年2月3日付」と書き込んでいるが、これは昭和49年の間違い。